アジア・フリーク(Asia Freak)

タイを中心にアジア探索の記録

政治って何だ! ? - いまこそ、マックス・ウェーバー『職業としての政治』に学ぶ

 

■レビュー

  国家、官僚、政治家、統治、法律、経済といった、社会の仕組みや枠組みについて、歴史的背景を踏まえながら理解する。

  人類が、地域的な個性を踏まえながら作り上げてきた統治の知恵と仕組みがある。このことを理解せず、安直な官僚批判で失敗したのが民主党政権

  官僚をどう活用するのか、天命としての政治家とは。こういった根本的な事柄を理解することは、世界のあらゆる国家を理解するのにも役立つ。

  また、ビジネスをする上でも、こういった構造的な社会の仕組みを理解する視点をもっていることは有用だと思う。

 

P21 【疑問】

ソ連崩壊、すなわち冷戦構造の崩壊により、「自民党以外の政党が政権を担っても社会主義革命が起きない」という安心感が、一九九三年の連立政権、二〇〇九年の政権交代に繋がっている」

→ この説を裏付けるデータ、根拠は、何か?

 

P41-42

古代ローマの基本形式

  • Polis(国家、政治)のルール(法)がNomos
  • Oikos(家 → Economy 経済)のルール(法)がBia(力、暴力)

女性と奴隷はPolisに参加していないので、Oikosのルール(Bia)が適用される。

石川:ドメスティック・バイオレンスが出てくるのも、その根っこにおいてはそういう考えがヨーロッパの人たちにあるからですか。歴史的に、連中のなかに「女性は殴ってもいい」ということが刷り込まれているからなのでしょうね。

佐藤:恐らくはそうでしょう。

  → ヨーロッパの人たちの名誉、評価に関わるをこうした発言には、そう推論する根拠とデータを示してほしい。

  以前、中近東でヨーロッパの人たちと1年ほど共同生活をし、今でもヨーロッパの人たちと交友を保っているけど、男女間にそういった差別意識のようなものがあると感じたことはない。

  ただ、ヨーロッパに滞在した経験はないので、ヨーロッパ社会の価値観、思想のなかに「(女性と奴隷とを同列に観る考えが)刷り込まれている」のかどうか、肌感覚としては分からない。

 

  女性の参政権や奴隷問題の歴史的過程を経て、今も尚、ヨーロッパで起きる女性へのドメスティック・バイオレンスの根底には「恐らく」古代ローマの価値観が根底に受け継がれているからという推論と理解すればいいのだろうか。

  もう少し、発言の根拠を語ってほしい。

 

P52

「種の論理」田邊元

→ 重要なのは種を維持することだという考え方。

  トップダウン式に、トップの思想(価値観)や指示に忠実(思考停止)な組織やマネージメントは弱い。

  思想や価値観を共有する人間たちが連帯する組織は、活力があって強い。個への共感ではなく、思想、価値観、枠組みへの共感して動くという形に世界全体がなってきているという認識。

  例えば、AKB48、SEALs、イスラム国、共産主義社会主義、資本主義など。

  枠組み、思想に共感する人たちが、主体的に行動するようになる。

  主体的な自爆テロなどは一例。

  また、会社や組織で、従業員やメンバーが、社長やリーダーと同じ観点と思いをもっている組織は強いという話しも同じ「種の論理」。

 

P141

西ローマの常識

  東ローマでは、ローマ法は継受されていない。

  東ローマの流れを汲むロシアは、文化の基底でローマ法を常識としていないため、「口では誓ったが、心は誓いに囚われていない」「信条、本心は、約束とは異なる」ということがある。

  ただし、一神教や古典ギリシャ哲学という共通項で、西ローマの流れを汲む文化圏と無意識に歩調を合わせることが容易。

  日本は、ローマ法のみを輸入したため、欧米とは、経済、ビジネス面では話ができるが、宗教、哲学という共通項が無いため、人間的に話が噛み合わないことがある。ロシアの文学は、宗教、哲学から始まっているので、文学に通じている日本人は、ロシア人との意思疎通が容易になる可能性がある。

  中近東、アフリカ、東南アジア、インド圏、中華圏などと渡り合う時、一方的に「あいつらにはグローバルスタンダードが欠如している。民度が低い。」などの発言をよく耳にするけど、共有している無意識の常識があるのかという視点は大切だと思う。

 

P187

石川:いま現在は自民党公明党が「どこまでも付いていきます下駄の雪」とばかりに連立を続けていますね。

  まず、公党に対して、大変に失礼な言い方。公明党も、他党と同じく、国民の部分的民意を代表し、議席を得ている。石川さんは、特定の国民(有権者)について、「下駄の雪」という認識をもっていることは、政治家として基本的人権の認識が欠如しており残念。主義主張が違えど、言論で調整を図るのが政治家の機能だ。学のある方とは思うけど、主張が違えば「下駄の雪」と言って見下す思考法にはガッカリ。

 

P195

石川:公明党の場合、その主義の枠はだいぶ薄れてませんか。池田大作さんの『池田大作名言100選』(中央公論社刊)という本を見ると、政策については右から左まで100あるとすると、極左の五%と右の二〇%くらいを排除した七五%が入っています。つまり相当程度体制に順応できるイデオロギーになっていますね。だから安保法案でも自民党と共同歩調を取れるということになる。

  この部分を読むと、「下駄の雪(P187)」発言と発想が連動していると分かる。

  たとえば、イスラームという宗教と政治の関係で言えば、「イスラームインドネシアサウジアラビアがあるのではなく、インドネシアイスラームサウジアラビアイスラームがある」と言われることがある。つまり、聖典クルアーン』を基本にすることは同じでも、どう適用するかは現実世界の状況によるということ。このことは仏教では「王仏冥合(おうぶつみょうごう)」という。

  池田大作氏は、日蓮仏法に基づく宗教家であって、政治家ではない。同じ信仰をもった政治家でも、地域が違えば適用すべき政策が異なることもあるだろうし、対象年齢によって政策を変えることもある。

  つまり、石川氏は、宗教の教義と政治の主義・政策を、同次元で見ているから、池田氏の発言は、(政治的に)イデオロギーが薄い(対応範囲が広い)というネガティブな見方になるのだろう。政治は利害関係の調整という機能を考えると、決して悪いことではないと思うのだが。

  同じ科学でも、場合によっては人類を助けるロケットを作ることもでき、場合によっては核ミサイルを作ることにもなる。だからといって、科学は悪、という論理にはならない。科学(宗教、哲学)と、科学(宗教、哲学)をどう適用するか(政策)は、次元が違う。

  この点、佐藤優氏は次元の違いを理解していると思うけど、「下駄の雪」発言を否定していないので、一見、石川氏に同調しているかのような印象を受ける。

  佐藤優氏には、政治と宗教の関係についても語ってほしいところだった。